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【感想】音楽劇「星の飛行士」

演劇の毛利さん –The Entertainment Theater vol.0

音楽劇「星の飛行士」

 

日時:2021年1月10日 12:00

会場:サンシャイン劇場

上演時間:約2時間(休憩無)

公式サイト:演劇の毛利さん –The Entertainment Theater Vol.0 「星の飛行士」

 

少年杜中主催の毛利さんが新しく立ち上げた演劇ユニット、演劇の毛利さん。

今回は音楽劇「星の飛行士」とリーディングシアター「星の王子さま」「夜間飛行」の計3作でひとつの世界を構築するというもの、らしい。星の王子さまが大好きで夜間飛行も読んだことあったので思わず3作品ともチケット取ってしまいました。岡田達也さん出るし。少年社中は過去に2作観たことがあるのですが毛利さんとの相性は1勝1敗なので少し不安でした(笑)

 

客席の収容率は50%。数日前に緊急事態宣言が発令されたので空席が少し目立つ。

 

※ここから先ネタバレしかしてないよ!

 

砂漠に不時着したサン=テグジュペリが自著二作を旅して失った記憶を取り戻す物語。サン=テグジュペリ知っている人ならタイトルから察しがつくと思うけれど、星の王子さまと夜間飛行の話が交互に出てきます。

冒頭、嵐の中必死に飛行機を操縦しているシーンから始まるのだけど、そこの痛烈な叫びが沁みて目頭が少し熱くなりました。

砂漠に不時着したあとに星たちが歌う曲を聴いて子ども向けファミリー劇場的な感じなのかと思ったんですけど、サン=テグジュペリで、夜間飛行で、不時着してるのって、どう考えてもねぇ、もう主人公死んでるよね。

 

星の王子さまの飛行士(池田純矢さん)は役者さん本人になんだか色気…というか、人を惹きつけるようなものがあって好印象でした。他の作品でも見る機会があればいいな。

全体的に星の王子さまに登場してくるキャラクターたちは飛行士以外は可愛い成分多めの感じでした。王子さまと世界感合わせてああなったのかなぁ。点灯士が特に好きでした。原作でも点灯士が好きなので嬉しい。

夜間飛行パートはちょっと所々引っかかるところがあり。…リヴィエールの演技、だいぶ癖ありましたね。整備士に恋愛の話を振った時本当に唐突すぎて意味がわからなかったのはわたしだけではないはず…!(リーディングシアターではそこの繋がりもわかるんですが)リヴィエールが他のキャストに比べて芝居がかっているので「突然、何!?」と思うような台詞回しがあってその度にびっくりしてしまった。笑。

ファビアンのダンス良かったんですけど、暗闇の中ライトの光だけで踊る演出も良かったんですけど、それでもかなり暗かったのでシルエットが辛うじて見える…!ぐらいのタイミングもあり勿体無かったです。後方席だったら見えないタイミングもあったのでは?後半は明るくなるので見えるんですけどね。役のわりに随分艶やかで色気があったように思うけどわたし好みだったのでわたしは満足です。あと歌久し振りに聞いたんですけど上手くなってましたね!!

 

みなさん歌がうまくて想像していた以上のものが聴けて良かったです。全体的にはスピカの役の人が好きでした。岡田達也さんもうちょっと出番欲しかったなぁ。

 

 

 

これ以降はうだうだ呟いているだけなのでこの舞台に感動した記憶を消されたくないわ!という人はブラウザ閉じてくださいね。

 

 

 

 

 

 

それぞれの話の時間配分が思っていたよりも長くて、夜間飛行の後半ちょっと空気が重すぎたというか…いや重くていいんだけど、もっとこうぎゅっと空気を濃密させてやってくれた方が好みだった。あの空気感でやられるとちょっと長く感じる。の割にリヴィエールがよく理解できないで終わると思うんですけど、みんなはリヴィエールに共感できたんだろうか。苦悩がなんだか悦っぽくて、わたしは彼に寄り添えなかった。自社の飛行士に厳しいことを言っていても、飛行士もリヴィエールも同じ目的のために日々を戦って勝ち取って生きているから口には出さずとも兄弟のような絆があったと言われてもそうは見えなかった。リヴィエールがそう思ってただけじゃないのか。とまあなんだかモヤモヤしてしまって夜間飛行パートはいまいちしっくり来なかった。大事な3つの言葉(これを思い出さないと永遠に砂漠を彷徨うことになる)のうちの「愛」のためにこの夜間飛行を物語に組み込んだのだろうけど、星の王子さまでも足りるのでは?いや、サン=テグジュペリの最期と重ね合わせるためにも夜間飛行が必要だったんだろうけれども…。

 

物語そのものはあまり自身に置き換えて観ることが出来なくて。そうなんだ〜、へ〜、ぐらい。泣いていた人もいたのでどこがどう刺さったのか知りたかった(馬鹿にしているのではなく単純に興味として)。結局これは死者(サン=テグジュペリ)が自分の人生を振り返って「これで良かったんだ」と言い聞かせて死んでいく物語にしか見えなかったので、そこが引っかかってしまって。友人も、妻も、現実の二人ではなくて、彼が望んだ形の二人だったのではないかと思ってしまう。現実の二人の気持ちが本当に反映されていたとしても、生者が一人も出てこないこの舞台ではわからないことなので。「誇りをもって死んでいきなさい!」のようなことを妻のシモーヌが言うけど、あなたがそう言って背中を押してもらいたかったんだよね。あと、優れた功績を残した人じゃないと星になれないのが納得いかない(笑)。みんなそれぞれ大事な人がいて、大事な人が空から見守っていてくれると思ってていいのではないの。もしかして、わたしが覚えてないだけで、「星」ではなく「一番星」だったのかな?それだったら思い違いなのですみません。間違えてたら教えて欲しい。でも死んだ側がどの星になるかって決めることじゃない。生者は自分が好きなようにあの星がそう、と思って眺めているのではないか?そんなに、あなたはよくやったよ、愛されていたんだよ、と気持ちのいい言葉を用意して言ってもらわないと成仏できないのかなぁ。あと、大人になることと自分の中の子どもを捨てることはイコールとは思ってないので、子どものまま生きて死んでいくのを讃えられるのもなんだかしっくりこなかった。毛利さんの言いたいことを受け止めてあげられなくて申し訳ない。今のわたしがひねくれているだけで、もっと子どもの時に見ればよかったんだろうか?たぶん、演劇で「この人はこうやって生きた!素晴らしい!こう生きたらどう?」て提示されるより「それであなたはどうやって生きる?」と問いかけられる方が好きで、この物語はわたしにとって前者だったのだと思う。後者になりえる物語のはずなんだけどな。劇中に出てくる台詞ひとつひとつは結構心に刺さっても物語としては上手く刺さらなかった。本題である命をかけて選んだ道を進むこと、それがわたしには無いからなのかもしれない。何かに人生を賭けろ、空から見ているから。と言われても、そもそもいまのこのしんどい世の中で、しんどい日本の中で生きていく自信があまり無いからかもしれない。諦めてはいないけれど日々抗って生きるのに疲れているところなのでそれどころじゃない(いや、やりたいことはやって生きてきたし当然これからもそうして生きていくのは変わらないけど)。観るタイミングが違えばまた感じ方も違うんだろうけど、今はのめり込めなかった。迷っている人には道標になるのかもしれないね。