ブログ名はいずれ考える。

日記やら感想やら。

モブになりたくない。

という気持ちがめっちゃ強かった。二十歳ぐらいの頃。

昔わたしは役者になりたかった。特別になりたい、というよりはモブになりたくなかった。顔が整っていないので自分がヒロインになれないことも、そもそもなりたくないこともわかっていた。「ヒロインじゃなくて老け役目指しな」ってアドバイスしてくる教師もいたけどそんなことわざわざ言わんでいいんじゃ!笑。わたしは悪役や4、5番手あたりの脇役が好きだったので、主役級には光り輝かず、かといってその他大勢になることは絶対に避けたかった。誰がやっても同じような芝居をしたくなかったし、いつまでも自分の少ない引き出しの芝居だけやってても仕方がないしで、個性ってなんだろうと最初のころはずっと考えていた。いや、ひとりひとり違う人間だからみんな当然個性があるんだけど、その他大勢の中からどうにかしてわたしを選ばせたかった。

そういう気持ちがあったので、ファッションの定番色とか、ベーシックアイテムとか、流行というものがなんだか苦手だった。ベージュのトレンチコートなんかは最も苦手で手に取ることすらしなかった。着ると、大した個性もない自分がその他大勢に埋もれて消えてしまう気がして厭だった。何か流行るとみ〜んな同じような格好をしている集団にいたくなかった。就活中の女の子四人組が全員真っ黒なリクルートスーツとベージュのトレンチコートに身を包んでいるのを街で見かけた時は衝撃で震えた。わたしにはあの中にいることが耐えられない。だって側から見分けがつかなくて。わたしはパッと見で見分けがつくようになりたかったんだと思う。だからと言ってド派手な服を着て目立ちたいわけではない。でも全体に紛れ込むことは恐怖だった。そのあと就職活動した時はピンストライプのスーツを着た。

年齢を重ねるうちに自分が好きになる服がどんなものかわかるようになったのもあって、定番や流行は「好みじゃない」んだなと好みの問題と捉えるように自分の中で変化した。就職して、無難に定番色のコートが必要にもなった。最近はイメコンと出会って、そもそもわたしはベージュがあまり似合わないんだということもわかったし、わたしが避けてきたものを着て輝ける人たちがいることを理解した。
でも年齢を重ねる間もベージュのトレンチコートは一度も手に取ったことがなかった。鏡の前でハンガーにかかっているものを合わせた記憶もない。別にもう避ける必要も理由も無かったのに、長年の習慣がそうさせていた。

先日、ようやくベージュのトレンチコートを試着した。同型の黒に惹かれて試着した際に、店員さんに「色違いも羽織ってみますか?」と言われ、いやわたしはベージュのトレンチは着ない主義なんだよなと反射的に思って、主義って何…?主義なんかないじゃん!とセルフツッコミを入れて、結局言われるがまま羽織ったのだった。そうしたら似合った。

あのね、似合ったの。めっちゃ似合ったんだよ!!ビシャーン!雷!

吃驚した。求めていた雰囲気や、わたしの今の気分よりもだいぶガーリーになってしまったので結局黒を買ったのだが、わたしにも似合うベージュはあるし、可愛いベージュのトレンチコートもあるし、ベージュのトレンチがわたしをモブにさせることもないとわかったのだった。いままでずっとただの偏見だった。ごめん、ベージュのトレンチ。きみはなにも悪くなかったんだね。

モブになりたくないという偏見から選ばないのと、わたしに合わない(内面・外見ともに)から選ばないのとでは全然違うのだ、ということがようやく実感できたのだった。偏見が勿体無いなということも。




大人になって、ファッションにおいてなんとなく自ら課している縛りをひとつずつ解いていけたらいいなと思ったので今回書き残すことにした。他にもあるんだ。ピンクはおんなのこの色だったから長い間避けていたりだとか、母親に「あんたがカーディガン着るとおじいちゃんになるよ」と言われたのでカーディガンがよくわからないこととか。別にいまもむかしも深刻に考えてない。結果的にそういう習慣になってしまっただけ、というものたちを解かしていこうと思う。
思考は残しておかないとあっという間にこぼれ落ちて消えていってしまうから。書きたいときに、書いておく。