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【感想】貴婦人の来訪

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日時:2022/6/11 13:00開演
会場:新国立劇場 小劇場
上演時間:3時間(休憩15分含む)
公演詳細:貴婦人の来訪 | 新国立劇場 演劇

新国立劇場のシリーズ「声 議論,正論,極論,批判,対話...の物語」第3弾。
貧窮した町に、かつての住人で今は大富豪となった貴婦人クレールが訪れる。町の人たちの期待通り、貴婦人は巨額の寄付を提案してくれるが、それと引き換えに彼女が要求したものは正義。かつて彼女を酷い目に合わせた元恋人イルを、誰か死刑にしてほしいという要望だった。過去の罪は罪なれど、今は死刑制度が廃止されている町でお金のために1人の人間の命を差し出すことはできないとその場で町人たちは拒否する。しかし、翌日からお金のなかった町人たちの暮らしが次々と豊かになっていって……。というあらすじ。


以下ネタバレです。ラストの話もしてます。
間があきすぎて感想というより未来の自分へのあらすじメモになっちゃった…。

 

 

冒頭はイル視点でのクレールとの恋人だった幸せな期間の話を聴くので、この男があらすじ通り酷い行いをしたんだろうか?と疑問に感じながら物語は進む。しかしクレールが町にやってきて歓迎のための晩餐会で彼女から出た言葉はイルの話からは想像もつかないことだった。

学生の身分でイルの子を身籠った彼女に対し、イルは裁判で自分の子ではない、それは他の男との間の子だ、と証言し、証人の間男を金で用意した。その結果クレールは裁判に負け、町人たちの冷たい視線のなか一人で町を出ていくしかなかったというのだった。(そののち彼女は娼婦となり、大富豪に見初められて結婚する)

視点が違えば見えるものが違うのはよくあることだが、イルのあまりにも酷い行いに強く彼を嫌悪した。いい記憶だけ覚えているという次元の話ではないではないか、何をのうのうと自分の行いを忘れて生きているのだと怒りが湧く。
その罪を死をもって償わせたい、物事を正したい、というのが、多額の寄付かわりにクレールが提案した条件だった。「死を」というのは行き過ぎな要求であるとは思いつつも、それは結局こちらにとっては他人事だからそう思えるだけで、クレールがそれを望んでしまうことは納得できる。

初めは色もなく継ぎはぎだらけの町人たちの身なり。それが、クレールが来た翌日から少しずつ灰色から鮮やかな黄色…高価なものへと変わっていく。イルが営む雑貨屋の常連、警察官、町長、家族。この町から逃げなさいと諭してくれた神父も、この町で行われようとしている酷い行いを記者相手に告発しようと争った教師も、最終的には黄色に染まっていく。
人びとから慕われ次期町長にとまで言われていたイルが、彼の妻子を含む全ての町人に見捨てられていく様は悍ましい。
初めは確かに誰も彼の死を望んでいないと言っていたのに、次第に過去の行いは許されないと言い、最終的には全会一致でクレールの要求を受け入れることを可決する。
恐ろしいのは、クレールは直接何もしていないこと。すべて、町人ひとりひとりの意思で行動した結果、町全体でイルを死へと追いやった。皆、自分が手を下すとは思っていなくても、死んでくれとは思っていなくても、死ぬだろうとどこかで思っているその気持ちが行動に現れて、イルを追い詰めていった。

色が灰色から黄色へと変化するのがとても良くて、黄色は戯曲の指定だろうか。金の色、光の色、明るく幸せな色。町中に溢れるその色と彼らの笑顔の裏にあるのは色を失った灰色のイルの死なのだ。
じわじわとイルの精神が病んでいくのが容易に想像できるが、その苦しみは想像したくない。

この町の不正を正そう!と皆が大声で言いながら、罪を犯す。この町に死刑制度はない。行われるのはただの粛清、殺人である。大衆の幸福と引き換えであれば罪を犯しても構わないのか。
同調圧力の前に対話は無く、受け入れる道しか残されなかったイル。無邪気に、直接的ではなくとも大勢に望まれる死。大衆の前の個の無力さ。どれだけ強い意思があれば抗えたのだろう。

ラストシーンでウェディングドレスを身に纏いイルを納めた棺と並んで歩くクレールを見て、ああこれはラブストーリーだったのだと気づく。
少女のころのどうしようもない傷を、消せない痛みを、イルを手に入れてようやく瘡蓋にすることができるのかもしれない。