ブログ名はいずれ考える。

日記やら感想やら。

【感想】貴婦人の来訪

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日時:2022/6/11 13:00開演
会場:新国立劇場 小劇場
上演時間:3時間(休憩15分含む)
公演詳細:貴婦人の来訪 | 新国立劇場 演劇

新国立劇場のシリーズ「声 議論,正論,極論,批判,対話...の物語」第3弾。
貧窮した町に、かつての住人で今は大富豪となった貴婦人クレールが訪れる。町の人たちの期待通り、貴婦人は巨額の寄付を提案してくれるが、それと引き換えに彼女が要求したものは正義。かつて彼女を酷い目に合わせた元恋人イルを、誰か死刑にしてほしいという要望だった。過去の罪は罪なれど、今は死刑制度が廃止されている町でお金のために1人の人間の命を差し出すことはできないとその場で町人たちは拒否する。しかし、翌日からお金のなかった町人たちの暮らしが次々と豊かになっていって……。というあらすじ。


以下ネタバレです。ラストの話もしてます。
間があきすぎて感想というより未来の自分へのあらすじメモになっちゃった…。

 

 

冒頭はイル視点でのクレールとの恋人だった幸せな期間の話を聴くので、この男があらすじ通り酷い行いをしたんだろうか?と疑問に感じながら物語は進む。しかしクレールが町にやってきて歓迎のための晩餐会で彼女から出た言葉はイルの話からは想像もつかないことだった。

学生の身分でイルの子を身籠った彼女に対し、イルは裁判で自分の子ではない、それは他の男との間の子だ、と証言し、証人の間男を金で用意した。その結果クレールは裁判に負け、町人たちの冷たい視線のなか一人で町を出ていくしかなかったというのだった。(そののち彼女は娼婦となり、大富豪に見初められて結婚する)

視点が違えば見えるものが違うのはよくあることだが、イルのあまりにも酷い行いに強く彼を嫌悪した。いい記憶だけ覚えているという次元の話ではないではないか、何をのうのうと自分の行いを忘れて生きているのだと怒りが湧く。
その罪を死をもって償わせたい、物事を正したい、というのが、多額の寄付かわりにクレールが提案した条件だった。「死を」というのは行き過ぎな要求であるとは思いつつも、それは結局こちらにとっては他人事だからそう思えるだけで、クレールがそれを望んでしまうことは納得できる。

初めは色もなく継ぎはぎだらけの町人たちの身なり。それが、クレールが来た翌日から少しずつ灰色から鮮やかな黄色…高価なものへと変わっていく。イルが営む雑貨屋の常連、警察官、町長、家族。この町から逃げなさいと諭してくれた神父も、この町で行われようとしている酷い行いを記者相手に告発しようと争った教師も、最終的には黄色に染まっていく。
人びとから慕われ次期町長にとまで言われていたイルが、彼の妻子を含む全ての町人に見捨てられていく様は悍ましい。
初めは確かに誰も彼の死を望んでいないと言っていたのに、次第に過去の行いは許されないと言い、最終的には全会一致でクレールの要求を受け入れることを可決する。
恐ろしいのは、クレールは直接何もしていないこと。すべて、町人ひとりひとりの意思で行動した結果、町全体でイルを死へと追いやった。皆、自分が手を下すとは思っていなくても、死んでくれとは思っていなくても、死ぬだろうとどこかで思っているその気持ちが行動に現れて、イルを追い詰めていった。

色が灰色から黄色へと変化するのがとても良くて、黄色は戯曲の指定だろうか。金の色、光の色、明るく幸せな色。町中に溢れるその色と彼らの笑顔の裏にあるのは色を失った灰色のイルの死なのだ。
じわじわとイルの精神が病んでいくのが容易に想像できるが、その苦しみは想像したくない。

この町の不正を正そう!と皆が大声で言いながら、罪を犯す。この町に死刑制度はない。行われるのはただの粛清、殺人である。大衆の幸福と引き換えであれば罪を犯しても構わないのか。
同調圧力の前に対話は無く、受け入れる道しか残されなかったイル。無邪気に、直接的ではなくとも大勢に望まれる死。大衆の前の個の無力さ。どれだけ強い意思があれば抗えたのだろう。

ラストシーンでウェディングドレスを身に纏いイルを納めた棺と並んで歩くクレールを見て、ああこれはラブストーリーだったのだと気づく。
少女のころのどうしようもない傷を、消せない痛みを、イルを手に入れてようやく瘡蓋にすることができるのかもしれない。

【感想】セールスマンの死

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日時:2022/4/23 13:00開演
会場:PARCO劇場
上演時間:2時間40分(休憩20分含む)
公演詳細:セールスマンの死 | PARCO STAGE -パルコステージ-

 

初めてのPARCO劇場!通路よりも後ろの席でしたが、傾斜がかなりあって観やすいですね。幕間にテラスへ出られるのも良いと思います。終演後もテラスから階段降りて帰れます。わたしは終演直後に喧騒に包まれるのが好きではないので助かりました。

戯曲読むか、舞台を観るか、とにかく一度は触れておかなければと思っていた作品。今回ようやく観に行きました。

かつては敏腕セールスマンだったウィリー。63歳を過ぎて得意先が次々と引退し、自身のセールスの成績も思わしくない。妻リンダは献身的に支えてくれているものの、30歳を過ぎても自立できない2人の息子とは関係がよろしくない。過去の良き記憶と苦い現在が交錯して物語は進んでいく。固定のセットはほとんどなく、家の中やかつての庭などは可動式のセットになっていて、ゆっくりと彼のまわりを動きながら現れたり消えたりするその様が、ウィリーの過去と現在を行き来する脳内のようで良かったです。ウィリー役の段田さん、恐らく今回初めて観たと思うんですが、過去と現在の年齢の切り替えの自然さとか、声の響き、台詞の聞き取りやすさ・理解しやすさ等、流石ベテラン…!でした。

以下ネタバレです。結末の話もしてます。

妻や自慢の息子に尊敬される良き父親だったウィリー。家族の眩しい会話から、父親も息子たちも物事を誇張して自慢しているんだろうなということが見ていてわかるものの、あの家庭で育ってきたらああなってしまって弱みを見せられないんだろうなというのもわかる。わたしにとっては窮屈な家庭で、誰の感情にも寄り添えなくて、見ていて苦しかったです。夢見ていた幸せには現状はほど遠く、夢の分だけ自らを苦しめている。資本主義社会のお金・成功に縛られた夢ってなんだろうな……。身の丈にあった夢をとは思わないけれど、現実を直視できないで夢を見るのはまた別物だよな、と思います。現実が刻々と変わっていく中で、いつまでも現実の延長線上になりえない夢を見ていてもしょうがない。そして、過去の夢ばかり見ていても生きられない。
終盤に、父さんは特別なひとりじゃなくてひと束いくらの人間なんだよ、というような長男のセリフがあったんですが、これは働く前に見ていてもあまりぴんと来ないセリフだったろうなと思います。いまは会社員なので(笑)。

長男役の福士さん良かったです。長男、誰だろう気になる……と思いながら観ていたんですが、カーテンコールで手前に出てきてやっと顔が見えてわかりました。キャスト確認しないで芝居を観に行くので、だいたい終演後に気になった人の名前をチェックします(チケット取る時は確認しても観るころには一旦記憶から消えている)。スリルミーで観たときよりもさらに良かったなと思いました。福士さん、結構好きなのかもしれません。過去作、何か配信とかで見れたりしないかな。
最後のウィリーとのシーンは胸にくるものがありました。彼は10代後半の頃に、尊敬していた父親の不貞を知りそこから父親と不仲が続いていたのですが、最後に彼の気持ちが伝わったから、ウィリーの迷いがなくなって行動に移すのが、どうしようもなくていいですよね。いやよくないんですけと。なんと言うのかな、そうなっちゃうよなぁと思わずにはいられなかった。そこで止める綺麗な夢はこの物語に残されていなかったように思う。生きていてこそではないのかとは思います。でもウィリーを見ているとその結末は無かった。絡まった糸を解く作業ができたと思ったらウィリーはこの世を去ってしまって、遺された家族の気持ちははかりしれない。最後、家族が彼の不在を知る前に幕が下りるのがとても良かった。

固定のセットがほとんどないなか、初めから終わりまでずっと舞台中央に佇む黄色い冷蔵庫。タイトルとこの冷蔵庫で物語の結末は想像出来るのですが、じっとその時を待っている、というか、ずっとその影がちらついたまま物語が進行しているように感じました。見下ろす形で舞台を観ていたからかもしれませんが、誰かの感情に寄り添って観るのではなく、定点観察しているような感覚で、1人の人生が終わりへと向かっていくのを、記録として眺めているというか……。記憶のなかのウィリーの兄も、その存在がだんだんと死神のように感じられて、避けようのない終わりがじっとり湿度を持ってまとわりついているかのようでした。終わりの余韻がとても良かった。しずかに、そっと、ずしりと、その重さがこころの中心にのしかかるような。観終わったあともう少し鬱々とするのかと思っていたのだけど、そうではなく、ただ重しが残っていて良い余韻でした。



ところでバーナード(長男の友人)がゆ〜っくりと自転車を漕ぐのを見て上手いな…と思ったのはわたしだけではないはず。笑

【感想】フェイクスピア

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日時:2021/6/5 18:00開演

会場:東京芸術劇場プレイハウス

上演時間:125分

公演詳細:フェイクスピア | NODA・MAP 第24回公演

 

いつものごとくネタバレをしている。

 

映像で観るばかりで現地で観劇は初めてでした、野田地図。凄く良かった。

あと白石加代子さんを一度生で観たいと思ってたのが漸く叶った。良かった。腰が重すぎるよわたし。物語の導入の話が嘘か真かわからなくて、帰ってからWikipedia見てしまった(笑)

 

タイトルからシェイクスピアで世間の風刺の物語かしらと思ってた自分の考えが浅はかだった。野田戯曲のカラクリに気づく瞬間が毎度好きで、今回も例に漏れず。途中途中ひっかかっていたことはあったけれど、知識として詳細を持っていなくて、もっと日本のことを知っておかないと駄目だな…と改めて思った。

高橋一生さんをあまり見たことがなかったのだけど(シン・ゴジラだけ…)、最初の方のシェイクスピア四大悲劇シーンで倒れるのが可憐で可愛かった…。前方席だったのでよく見えて…!

前田のあっちゃんは流石本店のセンターやっていただけあって、存在感ある…!本店ではあっちゃんが好きだったので、全力で頑張っている姿を見られて嬉しかった。舞台であんなに綺麗ではっきり通る声なんだ。

 

最後は本当に息が詰まって、あの緊迫感が永遠に続くかと思うほど長い時間に感じた。終わる先に何があるかを知っているから、終わりを迎えてほしくなかった。これ、わたしは生まれる前の話だからなんとかなったけど(それでもかなりしんどかったが)、記憶が濃く残っている人にはかなり辛いのではないだろうか。こんなに早く演劇にしてしまうんだと怖くなった。生まれていなかったわたしにはリアルタイムで真を見せられているかのように感じてくるしかった。終演後暫く放心していた。凄いものを見てしまった…。

 

最後の高橋一生さんの表情が凄く良かった。あの表情忘れられないな。

 

物語を受け取るだけで精一杯だったので、戯曲を読んでから改めていろいろ考えたい…。

【感想】パンドラの鐘

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日時:2021/4/17 13:00開演

会場:東京芸術劇場シアターイース

上演時間:110分

公演詳細:パンドラの鐘 東京芸術劇場

 

 

遺跡の発掘現場と、そこで発掘された古代の物語がいったりきたりする話です(あらすじの紹介が雑すぎる)。未見・未読の人には物語の中でハッとして欲しい…。上のリンク先に書いてあるけれど。笑

以下の感想を要約すると「not for meだった」なので、それでも大丈夫な人だけ続きをどうぞ。いつものごとく感想だけ書いてるのであらすじの説明はないけどネタバレしてます。あと批評じゃなくて感想なので感覚で書いてます。

 

緊急事態宣言の期間中芸劇が閉まるので4/24が東京楽となってしまって、その中で「つまんなかった」って感想上げるの申し訳ない……でもわたしが見た回はつまんなかったんだ……(泣)。

 

 

 

わたしはこの戯曲が過去読んだ中で一番好きな戯曲なのですが、思い入れの強さが仇となったのか、こんな退屈な話だったかな?という印象でした。戯曲読んだ時ほど感動がない…。テンポが少し遅いのと、スケールが想像していたよりも小さかったのがそう思わせた要因だったでしょうか(セットがシンプルなのとスケールは別の話)。緊張感がないわけではなく、張り詰めているでもなく、まあまあほどよくあって、そしてテンポがわずかにゆっくり。う〜ん、これは、たしかに寝てしまうよね……と後半寝ている人が複数人視界に入ったのを見て思いました。メリハリがないというか、なんというか。最前列とか二列目とかの人を複数人寝かしつけちゃうのはまずいと思いますよ…。

多分戯曲を知らなければ、戯曲そのものが面白いのでこの舞台も面白いと思います。さらっとTwitterの感想を検索した感じ、そう。

これ、観たのが幕開いてすぐだったのもいけなかったのかもしれません。本当はあと一週間遅い日のチケットを取ろうと思ってたんですが、間違えてこの日を買っちゃったんですよね。慣れないプレイガイドの先着で焦ってしまった。よく確認しなければ…。

 

さて。今回は戯曲と異なり、タマキとヒメ女、オズとミズヲも一人二役でした。戯曲だと一人二役なのは四人なんですが、今回はポスターに載ってる六人全員が二役演じていました。ピンカートン未亡人は戯曲だとヒイバアじゃなくて別の役やってるんですが。コロナ禍だからキャストを減らしたのか、それともそうでなくともこのアレンジだったのか、どっちなんでしょうかね。人数減らすためかなぁと思ってしまいました。タマキとヒメ女を同じ役者がやる意味をあまり見いだせなくて。鐘の秘密を知っているのが二人だけだから?それとも恋の相手だから?う〜ん。結構ぬるっと役がチェンジするので、そうなると、≒なのかな?と思う気持ちも出てくるんだけど、なんでタマキ…?とやはり思う。でも、このなんでタマキ…?は戯曲を知らなかったらそうは思わないのかもしれません。タマキ→オズ、ヒメ女→ミズヲの気持ちはイコールになり得ないので、そこを同じ人にやらせる気持ち悪さが最初から生まれてしまいました。

 

印象的だったのはレッドカーペットのように敷かれた服と死体を踏みながら階段をのぼるヒメ女のシーンと、ドレミを歌うヒメ女のシーンでした。ドレミファソラシドの音色が引き寄せられるような響きでよかったです。門脇さん、タマキの時は特段惹かれないけれどヒメ女の時は視線を持っていかれますね。戯曲読んでたときはあんまりタマキについて考えてなかったけど、わたしはタマキのことが嫌いなんだな(笑)。

 

終盤、ところどころト書きを読んでる演出はまあそれでもいいかなと思ったんですが、今回効果的だったかというといまいちわからず。そういえば、鐘の音ってありましたっけ…?実際鳴っていても鳴っていなくても正直どうでもよくて、終演後に頭の中に鐘の音が残っている状態になるのがわたしとしては望ましいんですけど、無かったなぁ。わたしは説明を聞きたくて芝居を観ているのではなくて、感じとりたくて芝居を観ているので。…これはわがままなのかなぁ。鐘の音聞きたかったなぁ〜〜!!あと最後の方の暗転したシーンはちゃんと見せて欲しかったです。

 

ハテナが大量に飛んだのは、謎に差し込まれるまぐわいシーンが……よくわからなくて……本当にわからなくて……誰かあの演出意図を教えてください……。男女のまぐわいが苦手なので意図が理解出来ないまま観ると顔が引き攣ってしまう……。じゃあ男男が大丈夫だったかっていうと今回のは駄目だったんですけど……。意味が……わからなくて……本当に……。どうしてああいう演出になったんだろう。いやまあ、性交描写が苦手なのは完全にわたしの問題ではあるんですけど。だって他の戯曲でも沢山あるし……。うぅ……でも今回は自慰見せられてるみたいでただただきもちわるかった……。(個人の感想だよ!)あれだなぁ、わたしがこの演出家と合わないのかもしれないですね!他の作品観てないんですけど。

 

未来の王の声が入った途端空気が変わってゾワッとしました。あそこで物語が急に怖くなる。

 

名前の由来がわかるシーンが一番胸が苦しかったです。それはわたしが過去に見聞きしたものを思い出すから。わたしは修学旅行で広島にも長崎にも行っていて、授業で映画を見たり、語り部の方が学校へ講演にきたりということがあって。一番鮮明に覚えているのは被爆者が描いた絵を見たときのことなんですが、小学校の一室に何点も絵が飾られて、授業でそれを見るんですよね。川の水を求めて息絶えていった多くの死体とか、人の体になにかうじゃうじゃと白っぽいものがくっついているのが描かれている絵を。子どもだったわたしはその時初めて蛆虫という存在を知り、それが人の身体に湧くことを知ったのでした。絵を見ているだけでも辛いのに、こんなに悍ましい光景を実際に見た人がいることが辛くて悲しくて……。このシーンはその記憶を思い出させるんです。だからつらくて、だから好きなシーンでもあります。ここ、本当に走馬灯のように記憶が見えるんだな、とわかっていい経験でした。いい経験?なんかその言い方は少し違うけど。一番好きな台詞は別にあるんですが、一番好きなシーンはここなんだなぁと改めて感じました。

 

最後タマキの好きな台詞が無かった…!(オズに見送られたあとの母娘のシーン無かったですよね…?ありました?わたしが記憶を失っているだけ?)戯曲を先に知ってるとシーンがある前提で構えてしまって駄目だなぁ。舞台→戯曲の流れがわたしはベストなのかもしれません。

【感想】スリル・ミー 成河・福士ペア

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日時:2021/4/10 15:00開演

会場:東京芸術劇場シアターウエス

上演時間:100分

公演詳細:ミュージカル『スリル・ミー』 | 【公式】ホリプロステージ|チケット情報・販売・購入・予約

 

初スリル・ミー!キャスト2名、ピアノ1台のミュージカル。全てのネタバレを回避し「実際にあった何かの事件を基にしている」ということしか知らない状態で観劇しました。ポスターの文字すら視界にいれず、どちらがどちら役かも頭に入れないで客席に座るという、我ながらなかなかの回避具合。もともと誰が何役かを知らずに観るのが好きなんですよね。

客席全体が、舞台上で何が起こるのか、一挙手一投足見逃すまいというような集中力で観ているのを客席にいて感じ取れたのが凄く良かったです。いい経験でした。100分本当にあっという間でした。途中上手く呼吸も出来ていなかったようで、終演後1時間ほど頭がぼーっとしてました。

 

 

以下めちゃくちゃネタバレです。初見だったので物語順が曖昧なのは大目に見てください。

 

 

客席通路を通って舞台上へあがる成河私。その緊張感に息を呑む。

そして53歳の成河私が話し始めたとき、記憶にある成河さんの声(エリザベート、タージマハルの衛兵)と全然違って誰だかわからなかった。福士くん(わたしが見た最後の記憶はのだめカンタービレ)でもないし本当に誰!?と思っていた(笑)。回想が始まり19歳になったら可愛いワンコみたいで吃驚。

スクールカースト上位であろう福士彼と、下位であろう成河私。でも成河私の、他の沢山の友人とは違う、自分だけが福士彼にとって特別であるのだ、という自信にぎょっとした。特別って、どういうこと?まるで肉体関係があるかように言うのだな、と思っていたら、あった。

(前述の通り、わたしは基になった事件について何も知らずに観ている)

でも気があるように見えるのは成河私だけで、福士彼は成河私を利用するために肉体を差し出しているようにしか見えなかった。だって福士彼は全然成河私のことを見ないのだ。福士彼が気まぐれに抱いているのだったら良かったのだろうが、成河私の執着が凄くて、結果的に搾取されているのは福士彼なのでは?と思うシーンがいくつかあって、観ていて辛かった。

キスシーンを見た時ソーシャルディスタンスは…??と吃驚してしまった。キスOKなんだ!?2.5次元なんかまだマウスシールドしているのに(聞くところによるとTDCホール第3バルコニーまでフェイスシールドしている公演もあったようだけど意味あるのだろうか?)。

放火のスリルに興奮する福士彼。手伝わされる成河私。いやいやいくら惚れた弱みといえどそんなリスクを冒してまで一緒にいたい相手なのか?と理性では思いつつも、成河私を通して(この物語は成河私の回想であるので、全てに成河私のフィルターがかかっていると思っている)描き出された福士彼があまりにも魅力的で、彼に惹かれてしまうこともよくわかるのであった。なんだろう、あの福士彼の魅力。感情がよく見えず成河私に酷い仕打ちをするのに、色気があって……。成河私が何を欲しているのか、福士彼がよくわかっているからなのかもしれない。この二人で炎を観ているシーンがとても良かった。どうよかったのかもう覚えていないのがもったいない。わたしの記憶力よ頑張ってくれ……!

契約書の歌、二人の声音が溶け合っていて気持ちよかった!音源欲しい。この組み合わせでも音源化してください。頼む。血で契約書にサインするとき、初めての成河私に対して福士彼が「やったことがある」と言った時の成河私の沈黙が怖すぎた。そんな特別な契約をする相手が僕以外にもいるの…?と言うかのような沈黙が。やっぱり成河私が対等であろうとするのが印象的。

盗んだ鞄の中身を確認して「こんなものしか入っていないのか」という顔をする福士彼を見て、彼の中の渇きが満たされることはきっと無いんだろうなと察した。もっと、もっととよりスリルを渇望して、先に進んでいくしかないんだろう。

盗みを手伝った代わりに見返りを要求する成河私に対して「気分じゃない」と言う福士彼。契約を交わしたんだから逃げずに果たせよと思うのも勿論わかるのだけど、ネクタイ外してジャケット脱いで(たよね…?記憶が曖昧)無気力のような状態で寝転がる福士彼を見るのも辛かった。回想が途切れたあと、53歳私が「5分ほど経ったあとに」と言ってからまた回想に戻って成河私が身なりを整えているのを見て、ご、5分!?5分で何が出来るの…作業じゃん……と思ってこれまた辛かった。どっちに同情しているのかもはやわからない。不健全な関係が互いを苦しめていないか?いや…互いなのだろうか?たまに成河私の方が力関係が強く見える瞬間がある。

ここのシーンだったか忘れたけど、もっと前かな…?ここかな…?キスシーンかな…?どこかのシーンで、二人を見ていてじわ、と僅かに情欲を催すような感覚がわたしに訪れて不思議な気分だった。演劇を観てこんな風に感じるのは初めてだった…。

スリル・ミー!の歌の成河私の必死さが怖かった。めちゃくちゃ必死すぎる。怖い。その執着心はどこから来るの。

いよいよ殺人の計画を持ち出したとき、福士彼が望んでいるのは父親の愛情であることがより明らかになるけれど、愛情が与えられていれば福士彼の渇きは満たされていたのだろうか?どうすれば歪まずに済んだのかなぁ。愛情が与えられていても弟が生まれた時点で駄目なような気がする。

殺す相手を誰にするかの話の際に真っ先に自分かと聞いて「お前」と言われたあとの成河私の反応、可愛かった…。

彼に弟を殺させまいと成河私が必死に静止するけれど、「家族だから」殺してはいけないというのはかなり捻り出した理由で、きっと本当はそんな身近な相手を殺したらすぐにバレる、ということの方を心配しているのだろう、成河私は。それに親の愛を掻っ攫われたから憎いのに、「家族だから」なんて福士彼にとっては聞きたくない言葉だったのではないだろうか。

生贄の羊を子どもに決めた時からわたしは、これから訪れる悲惨な出来事に体が強張ってしまった。これ、内容を知らずに観るの、人によっては駄目かもしれないな…。わたしも子どもの実像があったりしたら見られなかったと思う。

スポーツカーをだしにして子どもを拐う時、うたのおにいさんに時々悪魔のような地声がまざるのが怖かった……。子どもが犠牲になるのは辛すぎる。でも床の白い枠が赤く光ったのは良かった。

ことを成し遂げたあと、座って成河私を福士彼が後ろから抱きしめて二人とも息が荒くなっているのを見て交合(概念)を示しているのかと……思っ……。わたしだけ……?的外れなこと思っていても初見なので許して欲しい…。

殺してしまったことよりもバレることへの恐怖が勝つんですね。まあこの二人なら当然か。成河私が眼鏡を失くしたと言っているのに何故福士彼は興味を持たないのだろう。このあとの電話のやりとり好きだった。

成河私の弁護を福士彼がやると言い出したとき「何言ってんだお前…?お前も捕まるんだよ!!」と嘲笑したくなった。福士彼がここまで来て自分は大丈夫と思っている理由がわからなくて怖い。

犯行時刻に女とワンナイトラブしてたっていう嘘は慣れてない成河私には難しすぎるよ。福士彼と違うんだからもっと細かく指導してあげて欲しい。ダメだよ、ボロが出るよ。

計画の段階から成河私が不安がる度に自分の計画は完璧だとか言ってなんとか言いくるめてたのに成河私がヘマした途端切り捨てるの、わかってはいたがあまりにもサクッと切り捨てて本当最低だな!成河私に裏切られても知らんぞ…。そういえば公園での成河私の「待てよ!!!!!」にめちゃくちゃ吃驚して一瞬何と言ったかわからなかった(笑)。成河私ほんとうに強い。なぜ福士彼の言うことを聞いているのか?惚れた弱みなの?なんなの?それにしても変だよ。

結局福士彼も捕まった。必死に外に出たがっている姿も、成河私に対する姿も、「死にたくなーーーい!」も痛々しくて見ていられなかった。福士彼も人間の感情があったのかとわかる数少ないシーンだけど、そんな福士彼を見て、呆れでもないし、軽蔑でもないし、どういう気持ちを抱いたのか言葉にするのが難しい。

護送中の成河私によるどんでん返しは、驚きは殆どなく腑に落ちたという気持ちが大部分を占めた。至るところで感じていた違和感がようやく繋がった。これ他の組だとどうなんだろう?他の組も観たくなった瞬間だった。なぜチケットを取らなかったんだわたしよ。

福士彼がずいぶんあっさりと成河私を超人と認めたのは意外だった。もう彼は心が駄目なのかもしれない、と思った。成河私はこれから彼とずっと一緒にいられるけど、心は手に入らない。

「空を飛ぶ奇妙な二羽の鳥のように」のような台詞を成河私が言ったとき、照明がパッと変わったんだろうか?凄い引力で引き寄せられてオペラグラスも使っていないのに成河私がアップに見えた。演劇のこういう瞬間がたまらなく好きなんだ…観に行って良かった…。

99年めちゃくちゃ良かった。音源欲しい。最後の「永遠」の声音全然違うのね…。

釈放が決まって、自由を手にした成河私。「じ…ゆう…?」と言った、自由の言葉の意味のわからなさよ。永遠に監獄で過ごすはずだった人生から最も遠かったもの。硬く結んでいた両手を掲げてゆっくりと解く様は宗教画のようだった。

ラスト、「待ってたよ」から、寄って行って、こちらを向いたところは覚えてるけど他が記憶になくて。どうしたわたしの記憶よ!吃驚して意識飛んだのか?

写真の中の美しい彼と再会して、成河私のこれからの人生はまた始まるんだろうか。穏やかに過ごすのはなんだか違う気がする。きっとずっと成河私のそばに福士彼はいる。

 

(わたしの視力が悪くて肝心の最後の表情が見えてないという失態……)

 

 

まだ感想はあるんですがいよいよ指で打つのがしんどくなってきたのでここらへんで終わりにしておきます。もうちょっといろいろ考えてから書きたかったけど、とにかく早く感想をアップしたかった!!!(また纏まってなんかあったら追記するかも)

多分この組だからなんだと思うのですが、見終わったあとストレートを観たんだったかな?と思うほど、歌と台詞の境目を感じなくて(ちゃんと歌っているのに!)吃驚しました。もっと気分悪くなるかと思っていたのですがそんなことも無くて良かった。見終わって何日もず〜っと成河私が頭の中を支配していましたが。成河さん、53歳と19歳の切り替えがお見事すぎたしなんかもう、はぁ〜ッ上手い……!しか言えぬ……。

今年はこの1公演しかチケットを取っていないので他ペアは見られないのですが、次また上演されることがあったら絶対全ペア観るぞと心に誓いました。きっと全然違うのだろうな。

わたしよ、次回はオペラグラスを持っていくようにしてね。この演目は表情見えた方が絶対いいよ。

 

観終わってからこのペアに「資本主義の病」というフレーズがついていることを知ったのですが、何…それ……初見でそこまで考えるのは難しい!!

 

 

 

 

そういえば開演前にグッズ画像見て「ハンカチの色かわいいな〜!面白かったら終演後に買おう〜」と思ってたんですが、終演後に改めて見たらロープに血がついていることに気づいてウッとなり買えませんでした。泣。

【感想】リーディングシアター「夜間飛行」「星の王子さま」

公式サイト:演劇の毛利さん –The Entertainment Theater Vol.0 「星の飛行士」

 

 

先に感想書いた音楽劇「星の飛行士」とセットになるリーディングシアター二本です。2021年1月に観ました。そうです、またずっと下書きに眠っていました。

【感想】音楽劇「星の飛行士」 - ブログ名はいずれ考える。

 

今回は簡潔に。書いては消し書いては消しを繰り返していたら簡潔になってしまった…。

自分用の記録なので大したこと書いてないです。感想じゃなくただの日記かも。すみません。

 

朗読劇は普段あまり観ないのですが、せっかくだからと「夜間飛行」は岡田達也さん回を選択。「星の飛行士」で岡田さんの声もっと聞かせてよ…!と思ったのでこの選択は正解だった。「夜間飛行」になったら「星の飛行士」で省かれていたことなどもわかり、リヴィエールがよくわかるようになった……ごめんよ音楽劇……。でもやっぱりリヴィエールは冷たいし飛行士と絆があると言われてもよくわからない(笑)もう少し温情が欲しい…!

始まる前に岡田さんがずっと見てるのに櫻井さんが一瞥もくれず岡田さんが笑ってました。櫻井さんめっちゃ緊張してないか?大丈夫か?と心配になりました(やっぱり最初ちょっと呼吸速かったですね)。

原作読んだのが何年も前だったので細部まで覚えていなくて新鮮な気持ちで聞けました。

嵐の上空で見えた景色が綺麗だった。死が迫っている中の静寂。体をつつみこむ月の光。彼の意識があそこで途絶えればまだ良かったのに。嵐の中、ただただ降下していく機体の中で彼が最期に見たものはなんだったのか。

 

 

 

 

 

 

星の王子さま」はどの回観たか書かないけど、うん、観た回が悪かった。朗読でもちゃんと本読み込んで稽古時間を確保できるスケジュールにしてほしいな〜〜〜と思いました。悲。

 

 

 

コロナ禍でチケ代が値上がりしている中、どの舞台を観に行くか、いままで以上に考えないとなぁと思いました。好みじゃない舞台を観たくない。推し(複数います)が出演するから観るのではなく、他にも好きなor気になる出演者がいるかどうか、演目・演出家が好きかどうかで観る舞台を選んでいるのでいままで割と上手く選別出来ていると思っていたんですが、2021年のわたしはいまいちセンサーが上手く作動していないのでした。あ、今月観たスリル・ミーめちゃくちゃ良かったです。またこれは別途感想書きます。

 

追記

書きました→【感想】スリル・ミー 成河・福士ペア - ブログ名はいずれ考える。

【感想】音楽劇「星の飛行士」

演劇の毛利さん –The Entertainment Theater vol.0

音楽劇「星の飛行士」

 

日時:2021年1月10日 12:00

会場:サンシャイン劇場

上演時間:約2時間(休憩無)

公式サイト:演劇の毛利さん –The Entertainment Theater Vol.0 「星の飛行士」

 

少年杜中主催の毛利さんが新しく立ち上げた演劇ユニット、演劇の毛利さん。

今回は音楽劇「星の飛行士」とリーディングシアター「星の王子さま」「夜間飛行」の計3作でひとつの世界を構築するというもの、らしい。星の王子さまが大好きで夜間飛行も読んだことあったので思わず3作品ともチケット取ってしまいました。岡田達也さん出るし。少年社中は過去に2作観たことがあるのですが毛利さんとの相性は1勝1敗なので少し不安でした(笑)

 

客席の収容率は50%。数日前に緊急事態宣言が発令されたので空席が少し目立つ。

 

※ここから先ネタバレしかしてないよ!

 

砂漠に不時着したサン=テグジュペリが自著二作を旅して失った記憶を取り戻す物語。サン=テグジュペリ知っている人ならタイトルから察しがつくと思うけれど、星の王子さまと夜間飛行の話が交互に出てきます。

冒頭、嵐の中必死に飛行機を操縦しているシーンから始まるのだけど、そこの痛烈な叫びが沁みて目頭が少し熱くなりました。

砂漠に不時着したあとに星たちが歌う曲を聴いて子ども向けファミリー劇場的な感じなのかと思ったんですけど、サン=テグジュペリで、夜間飛行で、不時着してるのって、どう考えてもねぇ、もう主人公死んでるよね。

 

星の王子さまの飛行士(池田純矢さん)は役者さん本人になんだか色気…というか、人を惹きつけるようなものがあって好印象でした。他の作品でも見る機会があればいいな。

全体的に星の王子さまに登場してくるキャラクターたちは飛行士以外は可愛い成分多めの感じでした。王子さまと世界感合わせてああなったのかなぁ。点灯士が特に好きでした。原作でも点灯士が好きなので嬉しい。

夜間飛行パートはちょっと所々引っかかるところがあり。…リヴィエールの演技、だいぶ癖ありましたね。整備士に恋愛の話を振った時本当に唐突すぎて意味がわからなかったのはわたしだけではないはず…!(リーディングシアターではそこの繋がりもわかるんですが)リヴィエールが他のキャストに比べて芝居がかっているので「突然、何!?」と思うような台詞回しがあってその度にびっくりしてしまった。笑。

ファビアンのダンス良かったんですけど、暗闇の中ライトの光だけで踊る演出も良かったんですけど、それでもかなり暗かったのでシルエットが辛うじて見える…!ぐらいのタイミングもあり勿体無かったです。後方席だったら見えないタイミングもあったのでは?後半は明るくなるので見えるんですけどね。役のわりに随分艶やかで色気があったように思うけどわたし好みだったのでわたしは満足です。あと歌久し振りに聞いたんですけど上手くなってましたね!!

 

みなさん歌がうまくて想像していた以上のものが聴けて良かったです。全体的にはスピカの役の人が好きでした。岡田達也さんもうちょっと出番欲しかったなぁ。

 

 

 

これ以降はうだうだ呟いているだけなのでこの舞台に感動した記憶を消されたくないわ!という人はブラウザ閉じてくださいね。

 

 

 

 

 

 

それぞれの話の時間配分が思っていたよりも長くて、夜間飛行の後半ちょっと空気が重すぎたというか…いや重くていいんだけど、もっとこうぎゅっと空気を濃密させてやってくれた方が好みだった。あの空気感でやられるとちょっと長く感じる。の割にリヴィエールがよく理解できないで終わると思うんですけど、みんなはリヴィエールに共感できたんだろうか。苦悩がなんだか悦っぽくて、わたしは彼に寄り添えなかった。自社の飛行士に厳しいことを言っていても、飛行士もリヴィエールも同じ目的のために日々を戦って勝ち取って生きているから口には出さずとも兄弟のような絆があったと言われてもそうは見えなかった。リヴィエールがそう思ってただけじゃないのか。とまあなんだかモヤモヤしてしまって夜間飛行パートはいまいちしっくり来なかった。大事な3つの言葉(これを思い出さないと永遠に砂漠を彷徨うことになる)のうちの「愛」のためにこの夜間飛行を物語に組み込んだのだろうけど、星の王子さまでも足りるのでは?いや、サン=テグジュペリの最期と重ね合わせるためにも夜間飛行が必要だったんだろうけれども…。

 

物語そのものはあまり自身に置き換えて観ることが出来なくて。そうなんだ〜、へ〜、ぐらい。泣いていた人もいたのでどこがどう刺さったのか知りたかった(馬鹿にしているのではなく単純に興味として)。結局これは死者(サン=テグジュペリ)が自分の人生を振り返って「これで良かったんだ」と言い聞かせて死んでいく物語にしか見えなかったので、そこが引っかかってしまって。友人も、妻も、現実の二人ではなくて、彼が望んだ形の二人だったのではないかと思ってしまう。現実の二人の気持ちが本当に反映されていたとしても、生者が一人も出てこないこの舞台ではわからないことなので。「誇りをもって死んでいきなさい!」のようなことを妻のシモーヌが言うけど、あなたがそう言って背中を押してもらいたかったんだよね。あと、優れた功績を残した人じゃないと星になれないのが納得いかない(笑)。みんなそれぞれ大事な人がいて、大事な人が空から見守っていてくれると思ってていいのではないの。もしかして、わたしが覚えてないだけで、「星」ではなく「一番星」だったのかな?それだったら思い違いなのですみません。間違えてたら教えて欲しい。でも死んだ側がどの星になるかって決めることじゃない。生者は自分が好きなようにあの星がそう、と思って眺めているのではないか?そんなに、あなたはよくやったよ、愛されていたんだよ、と気持ちのいい言葉を用意して言ってもらわないと成仏できないのかなぁ。あと、大人になることと自分の中の子どもを捨てることはイコールとは思ってないので、子どものまま生きて死んでいくのを讃えられるのもなんだかしっくりこなかった。毛利さんの言いたいことを受け止めてあげられなくて申し訳ない。今のわたしがひねくれているだけで、もっと子どもの時に見ればよかったんだろうか?たぶん、演劇で「この人はこうやって生きた!素晴らしい!こう生きたらどう?」て提示されるより「それであなたはどうやって生きる?」と問いかけられる方が好きで、この物語はわたしにとって前者だったのだと思う。後者になりえる物語のはずなんだけどな。劇中に出てくる台詞ひとつひとつは結構心に刺さっても物語としては上手く刺さらなかった。本題である命をかけて選んだ道を進むこと、それがわたしには無いからなのかもしれない。何かに人生を賭けろ、空から見ているから。と言われても、そもそもいまのこのしんどい世の中で、しんどい日本の中で生きていく自信があまり無いからかもしれない。諦めてはいないけれど日々抗って生きるのに疲れているところなのでそれどころじゃない(いや、やりたいことはやって生きてきたし当然これからもそうして生きていくのは変わらないけど)。観るタイミングが違えばまた感じ方も違うんだろうけど、今はのめり込めなかった。迷っている人には道標になるのかもしれないね。